竹田城と安土城へ

たかぼー

2023年12月23日 20:48

昨年同様、大阪に無料で宿泊できる機会を得たので、12/16~12/17で家族旅行へ。

行先は相変わらず決まらないものの、長男坊が珍しく(それほど歴史好きではない)竹田城を提案してきたのすぐ乗った。
ちなみに、1ヶ月前に長女が交通事故に遭い、足に大怪我したのであまり歩き回れないかも・・・と考えていたものの、強靭な体躯で思った以上にの回復してくれたので、予定通り竹田城へ向かう。

大阪で宿泊なのに、兵庫県の竹田城なので、もう初日の予定はここだけ。
竹田城後は大阪入りし、翌日の予定はこの時点では未定だった。
家から竹田城までは3時間程かかるので、08時過ぎに出発。
福知山までは高速道路を使用し、あとは下道、11時頃に兵庫県は朝来市(あさご)にある竹田城跡に到着。

天空の城として有名になった竹田城だけど、歴史的に有名な合戦があった訳でもなく、風景的にメジャーになったというイメージで、正直なところあまり期待はしていなかったのが本音。

でも結果的にはとても素晴らしい場所だった。

30分ほど舗装路を歩いて200mほど登らないといけない。

竹田城に天守閣などはなく、あるのは石垣のみ。

その石垣、案内看板に穴太衆(あのうしゅう)が積んだとある。
まじか。

『塞王の楯』(今村省吾著)を読んでいたので、急に興味がわく。
全然下調べはしてこなかったので嬉しい発見。
近江(滋賀県坂本辺り)の穴太衆がこんな遠いところまで来て石垣作ったかと思うと、昔の職人の強さに感動する。
一部補修した以外は何百年も昔のままで存在してる事実。
阪神大震災の時の被害はなかったのだろうか。
なかったとしたら凄いこと。




石垣に関してはつたない知識だけど、家族皆に目に前にある石垣(野面(のづら)積み)のメリットデメリットを説明すると、多少は興味わいたみたい。




なんせ、(この時はまだ行先未定だけど)翌日は安土城跡に行くことになるくらいだから。
(安土城の石垣も穴太衆と言われている)

竹田城、とてもきれいに保全されており、かなり好感。
最初に持っていた、「風景でメジャーになった城」というイメージは完全に払拭。
いやぁ、全国にこのような良いところはいくらでもあるんだろうな。

竹田城に登った後は、いわゆる写真で見る竹田城を眺めに、立雲峡という竹田城から車で10分ほどの場所へ。
一番高い展望台までは1時間ほど登らないといけないみたいで、長女の足の具合もあり第2展望台でまでにしておく。
(人気になりすぎて、入山協力金あり)

竹田城の麓に町があり、城下町ということがよく分かる。





大阪の宿場には15時にチェックインするといってたのに全く間に合わず。
結局、16時前に到着。
昼ご飯もまともにとってなかったので早めの夕食は居酒屋風のお店へ。
ビルの20階にあって夜景が見えた。

翌日は朝から朝食を買出しに、歩いておにぎりの店とパンのお店へ。
おにぎりのお店があるのはさすが大阪。
たくさん買ってしまい、結局半分はお昼ご飯へ。





朝ご飯を食べながら、本日の行先は安土城に決定。
自分の趣味にあわせた訳じゃなく、竹田城の印象がそれだけ良かったということでしょう。
安土城は長男坊が1歳の時にいくみんと3人で行った以来、20年以上ぶり?

高速道路の事故渋滞があったものの、長男坊も次男坊も運転できるようになったので楽ちん。
最初に安土城近くにある信長の館という場所に行くも、正直大したところじゃなかった。安土城関係の博物館なども近くにあるので、そちらの方が良いかも。
そして20年以上ぶりに来た安土城。




ここの石垣も穴太衆が積んだという事で、昨日の竹田城と比べてしまうが、素人目には竹田城の方が見事だった。石の質などにもよるのかな。








昔と違いここもお金がとられるようになっていたけど、それは維持のためには致し方なし。まだまだ発掘調査も行われているみたいなので、今後に期待したい。

その後は夕食にしゃぶしゃぶを食べて、次男坊を米原駅に送り届けた後、自分たちも帰路に。
北陸地方は関西と違い雪で、高速道路は事故で通行止め。
裏道の柳ヶ瀬トンネルを通って無事到着。

来年度以降は長男坊も家を離れそうな気配だし、家族で旅行するのもなかなかないね、という事で、来年3月に北海道に行くことを今回ご飯を食べながら決めた。
プランは長男坊がざっくりと決めてくれるらしい。
3月という寒い北海道になりそうだけど、楽しみに待つ。

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